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熊本のアートとひとのすてきな関係を作るkmac(クマック)公式ブログ

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「熊本市河原町」と「アート食堂3号線」の出会いをプロデュース!レクチャーご報告

さて、去る6月12日、熊本市の繊維問屋街をリノベーションし、
アーティストらが集う熊本随一のアートスポット・河原町

アートについてのレクチャーをコーディネートしました。

現在、河原町では、
月1回行っているアーティストが路上で自由に展示販売する「アートの日」イベントを拡大し、
今年7~9月の各週末に、アーティストらを招いてレクチャーや演劇、様々な企画を行います!
AAF(アサヒ・アート・フェスティバル)協賛の企画です。

レクチャーシリーズと銘打ち、
第1回・コミュニティアートふなばし(千葉)はじめ全国の地域アートの現場を歩く山浦君、
第2回・劇作家・岸井大輔さんと佐賀の呉福万博を手掛け、東京で活躍する森恭平さん、
につづく第3回目!

kmacとも仲良くして頂いている
アートスペース「アート食堂3号線」の仕掛け人である下城さんをお呼びしました。

ドイツでの現代美術作家としての活動、そして熊本に戻ってから「アート食堂3号線」を設立しての活動、
いずれも人と社会をつなげることをテーマに一貫した思いを持って活動されているそう。
これはkmacもテーマにしている大変共感するところであります。
さらに、日本の芸大や教育現場にも携わりながら、ドイツの美大での留学経験と比較し、
日本は技術がメインとなるが、ドイツでは「作品は機能(成立)しているか?」と強度やコンセプトを
厳しく議論され、問われる
という話は目から鱗でしたね。

じっくりと丁寧にお話聞くことが出来、改めて下城さんの熱いアートへの思いをビシバシ感じました!!
こんなアートの最先端を見た人が熊本にもいるなんて~!
これからもますます一緒に熊本を盛り上げていきたいと思いました。

下城さん、ありがとうございました!!! 

テーマ:「アートと社会をつなぐ」
~食堂としてのかかわり方、アーティストとしてのかかわり方~

レクチャラー :下城賢一氏    

プロフィール

熊本生まれ
熊本県立八代高校 卒業

1993  東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻 入学
1997  同学部 卒業
1997  東京芸術大学大学院美術研究科修士課程壁画専攻 入学
1999  同大学院修士課程 修了
1999  ドイツ学術交流会(DAAD)スカラシッププログラム
     により、デュッセルドルフ美術アカデミー  
     マグダレナ・イエテロヴァ教授クラス 入学
2004年まで同クラスに在籍
   2006  帰国
   2006  熊本在


レクチャーほぼ全文はこちら↓


1・アート食堂3号線の活動

はじまり

 河原町との繋がりは、2006年に日本に帰るまでは知らなかったが、予備校講師をしているので生徒から度々聞いていて、たまに遊びにきていた。
アート食堂3号線は、プールスコート通りのマリメッコ上にある。2月から5月まで活動をした。今後も引き続き使えるようになった。

 運営をしているのは、宇佐美陽一先生(ドイツつながり)と、東京で知り合い、ほぼ同じ時期にアメリカから帰ってきた松本和子さん。
3人で「なにかできたらいいね」という話しから、「4時からゼミ」を始めた。
当時の崇城大の宇佐美研究室から自主ゼミを作り、各週で様々なテーマで議論をしたり作品を作ったりした。国際交流会館の会議室で催しもした。視覚芸術と聴覚芸術の大きな変化点は一致しているのではないかなどと話し合った。

 会議室だけじゃつまらないねということで展覧会もした。
昨年5月福岡天神、「ギャラリー貘」でインスタレーション、パフォーマンスもした。
「あなたのさいごのひのそらはなにいろ?」をテーマにした。自分が死ぬ日の空はどんな色をしているだろうとゼミを以前した。反応してくれる人はすごく反応してくれて、作品のテーマを出し合った。いろんな絵画の空の部分だけを切り抜いた紙が宇佐美先生のイスの下に置いてある。パフォーマンスはオイリュトミー(※注:ルドルフ・シュタイナーの提唱した「動きの芸術」。ある種のパフォーミング・アーツ)に基づく踊りで、宇佐美先生が踊りながら空の紙を並べたりする。
クロージングは来場者に最後の日の空をそれぞれ想像し、塗ってもらって宇佐見先生に踊ってもらってイスの下に置いていく。福岡のオルタナティブスペース「紺屋2013」と知り合った。この展覧会がもとで、アート食堂3号線の2号店が紺屋にできた。



遠藤水城を呼ぶ!!

 キュレーターの遠藤水城さんの本を松本さんが持っていて、回し読みをするうち面白くて「遠藤さんを呼ぼうよ」となって、酔っぱらった勢いでメールを書いたら来てくれるようになった(笑)
最初はゼミの中でしようと思ったが、崇城大で一度講義をしてもらい、熊本市下通の橙書店でトークショウをしてもらった。崇城大の予算だったが、決まる前から来てくれるつもりだったようで、「馬刺しと焼酎でもてなす」といったのがよかったのかも(笑)
 お話は面白かった。遠藤さんはもともと哲学を学びフィールドワークする中でベトナムとかタイ、アジアの美術に興味を持ったという。植民地だったアジアの美術の発展を話されて、日本が明治から西洋絵画を取り入れたのとそっくりだといわれた。いかにそれが西洋的なものの上塗りか、ものまねであったことを暴くようなかなり刺激的な内容で面白かった。自分たちの美術を持てない、オリジナルな美術を持てない現状がいっぱいあって、それについて話された。それだけではなく、彼が関心あるのはグラフィティは美術館に所蔵可能か?などという問題。ニューヨークではバンクシーの作品を壁ごとひっこぬいて作品にするとか、写真にするとか議論がある。1年前なので、今は保存されているのかもしれない。


食堂設立

 アート食堂は宇佐美さんが店でいいところないかなあと話していたら、ポールスミスの会長さんに出会い、展示の「さいごのそらのいろ」についての話をしたら「私も同じことを考えていた」といわれて意気投合。
 あいているから自由に使っていいよといわれて、電気代などは払ったがほとんど無償で使わせてくれた。名前を決めようとなって、念頭には熊本で先立って活動している河原町や新町を知っていたし、同じような活動できるわけではないし歴史も違うので自分たちは何を出来るか話し合い、ハイアートをやってきた、いわゆる美術館で小難しいインスタレーションをやってきたような3人なので、アート活動を通じて人と繋がる食堂のような場所を作りたいね、と「アート食堂」という名前にした。熊本らしさをつけるため、ローカルらしさを出すため「3号線」に。2月から始まった。

 オープニングはみんなで紙に絵などを描き、その上で宇佐美先生が踊る。松本さんには大量のおでんを作ってもらった。30人くらいきてくれた。バレンタインには自分の指の形のチョコを作った(笑)本格的にシリコンで形をとった。アートスナックはkmacが企画。山口からきたというママを小笠原さんがやって、シャンデリアのある部屋で飲んだり、ねるとんをしたりした。現美や新町、つながりが増えていって食堂には大事なきっかけになった一夜だった。似顔絵イベントは、マリメッコの商品券を出して、そっくりな似顔絵の人に賞を出した。三月は宇佐美先生が、ダンサーであり、作曲家でありピアニストであるのだが、「演劇における声の発生とはどういうことか」をテーマに、赤ずきんちゃんをドイツ語で読んだ感じ、日本語で読んだ感じはどれだけ違うのかや発声方法について考えた。これは就職活動の大学生が声が出せない、と相談したところから始まった。これは地震の前日。

 アートピクニックなどを企画していたが、地震を機に、1度白紙にして話し合った。募金などの話しも出たが、結果的には映像作品をみんなで撮った。熊本城でみんなでひたすら馬跳びをしているというもの。「こえる」は垣根を越える、困難をこえる、などの意味。馬跳びしようという話がメンバーから出た。熊本城で撮り、メッセージをつけ、youtubeで4、5本とった。宣伝しなかったが再生回数も多くいまだに見てもらえている。東北の人が見ているか分からないし、これに関しても色々意見があると思うが自分たちの思いを表現した。飛んでるのは崇城大学生だったり、美大学生も多い。帰省中の子やたまたま花見していた人も声をかけたら参加してくれた。こえるプロジェクトと名付けていろいろした。馬跳びってやってみると難しい、息切れちゃって。

 「紺屋2023」という大名にあるアートスペースを1年間宇佐美先生が借りているので、「アート食堂の福岡支店」にしている。紺屋がやっている「夜会」というイベントにも参加。これからも何かやっていきたいと思う。4月は「透けて見える食卓」というテーマでピアニストの演奏会をした。前衛的なピアノに合わせて宇佐美先生が踊るなど。その合間に表現者を目指す子達が集まるので、批評したり、見る活動もした。テーマは「卵」だったり、「目」だったり。地元の劇団「ゼロソー」のリーディング公演も二回ほどした。大盛況で40~50人きた。

 クロージングパーティーは、一応スペースを今後使えないことになっていたので、5月29日を最後の日としてやった。松本さんが作品を作ってくれて、みんなでつないだ。
(kmacによる紹介:松本さんの作品はツイッターやネットや会話などのいろいろな情報を漫画やメモの切れ端などで板にはり付け、上から白いペンキを塗って表現。メモを打ち付けたクギを参加者が赤い毛糸でつないでいく。参加者は人同士をつなげたり、宇佐美先生がその糸にからまりながら踊ったりと素敵な作品)

 紹介は終わるが、これからも使えるようになったので、ぜひここ(河原町)の方と知り合って、やりかたも何もわからないので一緒にやらせていただけたらいいなと、お話来たときも知り合うきっかけになればなあとお知恵をお借りすることもあるし、よろしくお願いします。


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どこかのBSの取材クルーが来ました(汗)


2・個人の活動。

 答えはないが、意見を聞きたいし、教えてもらいたいなという思いで参加させてもらったが、今日お話しできることは、アート食堂の三人はこてこての現代美術を学び、そういう表現を指向してやってきた。かちかちの表現というのは、熊本でやるのはすごく難しいんだなと言うのは現実問題として3人共通して感じている。大学に属すとか、なにかのバックボーンに守られなければというのは正直感じていた。表現だけでなく、人と繋がることに軸足を於いて活動していきたいというに至った。

ドイツでの作家活動

 私は72年生まれ、八代育ち、油絵科出身で大学院は壁画。6年間ドイツのデュッセルドルフでくらした。

 キューブシリーズは長いことやっていた。5×5センチモジュールをたくさん作る。アニメやプラトンの主張する幾何形態の接合という説。このイメージを借りて、いろんな場所に設置するインスタレーションをやっていた。10mくらいの円に並べ、セゾン系のギャラリーでやった。いろんな人が水面に顔をつける横顔の映像をつける。新宿タカシマヤでやってのは高さ50センチの紙の束をくりぬいて、キューブを埋め込んでいる。半円と直線がぶつかる2点に映像がうつる。透明な中に僕の身体の写真が封入されている。真ん中に透明なフィルムが封入している。横からは見えないが、台ごしに見ると映像が宙に浮いているようにみえる。

 「読み替え」は映画のモチーフと関係ない主人公の話す背景にうつるテレビの映像など、何気ない風景に全然違う意味を見いだして作品にすること。「野いちご」という映画の本筋と関係ないシーン、夫婦のシーンは、子どもをおろすという話を車内でしていて窓の外が森と海、これをバラバラにする3部作をやった。
 大学の中でやった展示は、壁に黒く見えるのは男性のセリフ、女性のセリフは光っている文字として壁に投影。棺おけサイズのガラスの板。モニタが設置され、ガラスに映り込んだ映像しか見ることが出来ない。卵の黄身の映像。次の作品は卵の黄身をテンペラの技法の一つだがはけで塗って、さらにそこに黄身の映像うつす。小さいモニターがあって、スプーンに空が映っていて、ミルクをかけて空が見えなくなるという映像。最後は、ドイツの州が持つシアターで展示した。太陽に見えるのは卵、黄身がつぶれていく映像と沈んでいくスプーンがシンクロする映像を大きく写す。男性のセリフと女性のセリフが刺繍してあるというインスタレーション。いろんな展開を経て、着想が深まったり、全然違う方向に行ったり、作品が完成していく。こういう形で作っている。

 ドイツ語で「無題」という意味の作品はガラスの板に畜光性の塗料を塗り、テレビのノイズに手をかざした映像がうつっている。消えると手のシルエット以外が発光する。最後にしこんでいるフラッシュが発光し、ガラス全体が光る。これを繰り返す。映画の1シーンを写す。2人が1つの靴ひもを結ぶシーン。これをやってみる。ドイツの人にたのんで、何度も失敗しながらできるまでやっているという映像をガラスの間に流す。

 補足としてドイツ時代の先生は向こうの美大で教わった女性はチェコ人、ドイツに亡命していまミュンヘンで先生をしている。すごくいろんなことを教わった。貴族の館にインスタレーションをやった。エジプトのピラミッドを造ったらどうなるかを再現し、赤土で作った。中はベニヤ。巨大なイスを作るので有名になった。大きすぎるとイスの役割を果たせない。共産圏なので、肥大して大きなものになると意味をなくすという意味、チェコにとっては批判的な作品と受け取られ、亡命せざるを得なくなった。フランスの第2次世界大戦の時に連合軍が上陸した場所、ノルマンディーにあるトーチカのあとに詩を投影したりしていた。


ドイツで学んだこと


 いっていたヨーロッパの美大は絵を描く学生はほとんどいない、デッサンしていたのは僕だけ。バイオリンをしたり、全然違う勉強していた。美術の勉強をしたことないひとが集まり、日本の美大と全然違う。最初に表現したいものを持つ人が集まり、手段はなんでもいい。向こうに行ってまずそれがショックだった。中心の考えは大事だけどいかに綺麗に作るかなどを考えていた学生だったので。向こうの作品は日本人からみると雑だが、表現のために必要だったりする、バランスのようなもの。僕は向こうでそれを教わった。

 Die Kunst クンストは美術ではなく、芸術。ドイツに行って学んだ。日本に帰ってからも自分の作品で実践できるか分からないけどそういうことを考えている。美大に行く学生に対し、日本は油絵科にいくと基本的に放置、なにも教えない。技術的なこともコンセプトも教えないし議論しようともしないのが現状。技法的なことやどういう風な仕上がりになるかに重きを置いている。
 それに対し、ドイツは表面的なことより作品の成立するきっかけや核を教えたり議論したりする。教えることは出来ないが生徒達が議論したり本を読んだりして、技法は各個人が追及していけばいい。
外注する人もいる。現代美術においては自分で作品を作らない人もいる。

 イデー、コンセプトが核となって作品が成立する。「機能しているか」とよく聞かれた。コロッキウムといって、作品を持ち寄り批判される会がある。仕上がりが綺麗すぎてものしか見えてこない。いかに綺麗に作るかを考え、何がいいたいか伝わってこない。核と表現する技法が合致して機能しているかどうか。ずっと言われ続けた。向こうにいる間美術館や作家の作品見たが、ベネツィアビエンナーレで賞を取った人の作品がたくさんあるが、クオリティはごみのような作り。ヨーロッパの美術界でもっとも評価されている美術家のひとり。コンセプトはよくわからない。


熊本に戻って

 こういう活動を熊本でしていきたいと思っているが、美術館だけでなくアートスペースで違う形でそういうものを見せて行ければいいなあと手探りしている。人と人をつないでいくというコンセプトも実現していきたいし、場所も借りることも出来そうだが、今までと違う形で外部の人に使ってもらったり、子どもたちに絵を教える学校みたいなものやいろんなことをやっていきたい。松本さんとよく話すのはこういう現代美術に興味がある学生はなかなかイベントやったり人にあったり話すのはもともと苦手。なかなかやりたいけどジレンマを抱えている。それがいい形で個性として表れればいいなと思うし、河原町とふれあうこと、一緒になんかやることで弱さみたいなものを克服、成長できたらと思っている。食堂だけでやりたいという人もいるし、いろいろな意見があるが、つながっていきたい。


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Q&A

―熊本に帰るきっかけ

 病気をしたのが大きかった。原因がストレス、楽しかったが負担をかけていた。アーティストビザとれる分かれ目だった。作品を考えるときは日本語だった

―東京でも良かったのでは

 地元が東京だったら東京にいってた。現美ができたのもしらなかった。ほとんど帰っていなかった。河原町もあるし面白い場所になったなという。

―ドイツで勉強したのは技術的なことではなかったというのは哲学的なこと?

 クラスの中心は先生が指示、作品を置いてプレゼンする。20人くらい取り囲んで徹底的に批判。機能するかを問う。コンセプトがすっと入るか、揺さぶられるか、など。それが教育の中心で試験はドローイングを25枚出すだけ。面白そうな生徒をとるというシステム。展覧会旅行をする。ドイツとチェコなど。価値観と違うことがたくさんある。

―専門的に現代美術を勉強する中で一般的なアートというレベルの価値観と変わってくる。戻ってきて河原町も現代アート部門でジャッジをしたいがエントリーする人自身がわかっていない、自分がやっている作品はアートなのか問われたことも考えたこともないし、聞きもしないという現状がある。引き上げていく作業が必要。学生に教えていてそのへんはどう?

 予備校なので深いところまで立ち入れない。おっしゃられることはわかるが現代美術はルールを守ってみれば楽しいもの。道筋を勉強するとすっと入ってくる。受け身的にみるだけじゃわからない。引き上げていく考え方はすごく大事。場がないのも現状だし、そういうレクチャーにまめに行くと分かってくると思うが難しいかもしれない。

―日本の芸大にいく子がかわいそうになったり?気付いている子は不満を持つがどう表現するか分からない。なぜ売れないかでとどまっている人も。

 絵がうまくなることと機能するかは別のところにある。生まれつきうまい子は最初からうまい。現場でも感じるが、何を表現するかは学べなかったりする。大学に行っていい師匠に会ったり、すごい経験をしたりして深まることもある。教育は難しい。放置状態は問題になっている。絵画系は何もしていない。村上隆さんもずっと糾弾しているがとても賛同する。オルタナティブスペースで作品を発表できるのは幸せなこと。発表することがどんな意味を持つかは考えないと行けない。みんなが東京に出なければいけないわけではない。遠藤さんもいうように地方のやりかたがあるし、しっかりやっていけばいいと思う。今悩んでいるところではあるが、こういう話はいくらでもできるし、大好きなのでできれば話せる場があるといいなあと思う。アメリカ系詳しいし英語も出来るので。興味を持つ方がいれば。資料を用意する中でためになったし、話すことで考えるし、刺激になる。現代美術というものをどう受け取っているのか。わからないと上から目線になったら駄目、日本のやり方として、わかりやすいものなので、見る側も飛び越えてくれば

―自分がわかっているかもわかってないかもわからない。ルールというのは

 見方のルールがある。Ideの話をしたが、極端には西洋は発見するに近い。新しい表現方法を最初にやったというのが大事。絵画の歴史も変わってきて、四角い画面にかく限界から自由になる方法をブレイクスルーする人だけが名前を残す。知らないと単なるシミの絵。歴史を知るとそういうことなんだとわかる。面白くないかもしれないけど腑に落ちる。ほんとうは美大でも教えるべき

―建築は課題を出してたたかれるのでドイツの大学に近い。考え方とコンセプトを作るのが重要。

 ドイツの先生は建築に詳しく、建築の最先端のバウハウスなどが現代美術とリンクした時代がある。設計図もない。ペーパーアーキティチャーできるようになったのはコンピュータの発展。普通じゃない建物。ユダヤ人の気持ちを追体験している、国家予算を使う建築は面白い。デザインの専門学校系のオペレーターをつくる、4大は考える。CGの世界が特にそう。安易に専門学校にいく子も多い。

―スキルはいつでもできるが、考え方は訓練しないと身につかない。10、20代でどこまでたたかれるかが重要。油絵から映像とかインスタレーションはどういう経緯で?

 4年間で油絵1枚しかかいていない。芸大で油絵かかず、インスタレーションを出したら問題になって進級できるか会議になった。ゆるくて大丈夫だった。先生について先生がOKといえば全部よかった。先生について大学院にいったが壁画は1枚もかいていない。絵は好きで人に見せないが描いている。最初のスタートは絵で平面から描く。そこの部分のスキルがあるかないかは大事、出来上がったものが緩くなる。うまいひとはドローイングもうまい。

―映画は好き?

 映画は常に見ているものなので、サブリミナルとは違うが、もう少し意図的に刷り込ませているサブリミナルに対し、レイヤーという心の深いところのものが自然と作品の中に出てしまっている。小さい映画とかに出てくると思う。監督も気付かないうちに折り込んでいる。半分思いこみや勘違いかもしれないけど引っ張り出して作品にする作業をしている。最近はCG使うとあまり感じない。靴ひもなどは違和感がある。小津安二郎の映画の手元を引き延ばして使ったり。「タクシードライバー」の10秒を10時間に引き延ばす作家もいる。

―アート食堂は常時人が?

 イベントの時だけ。理想は自分たちの場所をできるといいが。アトリエで常に公開はしていない。
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by kmac-office | 2011-06-28 22:39 | 活動レポート
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